| このホームページは、私が若い頃活動した【飯豊連峰合衆国】のパスポートの記事をもとに 製作しています |
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| 山都 やまと “山の都”という美しい名前の通り、面積の80%は山岳が占めます。 その中心となるのが信仰の山、飯豊山です。 また、「日本蕎麦」で有名な山都地区は 宮古地区に代表されるように そば畑が広がり 一ノ戸川上流には 山野草が咲いています。 |
| 山都町の南を、会津の文化の移入路として重要な役割を果たしてきた 阿賀川が流れています。 一ノ戸川下流の磐越西線に架かる石造りの鉄橋は長さ446m、高さ17mで、明治43年 完成当時、東洋一といわれました。 SLが走る時期になると 絶好の撮影ポイントになります。 |
| おすすめ観光コースは、喜多方ラーメンに劣らず 全国人気になった「日本蕎麦」の食べ歩き、スポーツ、渓流釣り、飯豊登山、文化財探訪とバラエティに富んでいます。 一の木地区委にある 温泉保養施設「いいでの湯」も 田舎の旅情を誘います。
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| 飯豊山は、昔から女人禁制の霊峰として知られ、会津の男子は13、14才になると白装束に杖を持って登りました。 三国岳から本山に至る登山道の両側は山形県、新潟県になっているが、尾根だけは旧山都町の領域。標高2、105mの山頂には飯豊山神社を祀っています。 山都地区からの登山口は、飯豊山の表玄関の川入です。 |
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| 旧山都町は、宮古地区・一の木地区に代表される「日本蕎麦」で 有名です。 |
| 山都町には、温泉保養施設 いいでの湯(0241−39−2360)が あります |
| 下流の磐越西線に架かる石造りの鉄橋は長さ446m、高さ17mで、明治43年完成当時、東洋一といわれました。 |
| 上流は山野草の宝庫で、イワナ、ヤマメの渓流釣りにも最適です。 のんびりと自然を満喫するには 最高の地域です。 |
| ■ 旧一ノ戸村制札場 |
| 制札は木札に禁止の条文を記したもので、山都町一ノ木の田中氏宅にある制札場は、藩政時代に作られたものだ。会津でただ一つ現在する貴重な制札場である。
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| ■ 蓮沼門三の碑 |
| 明治時代の有名な社会教育で、明治39年に修行団を創立、社会教化の大運動を起こした。「愛なき人生は暗黒なり、汗なき社会は堕落なり」は彼が理想とした座右の銘。誕生地には記念碑が建っている。 |
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| ■ 泉福寺 |
| 本尊の大日如来坐像は県重要文化財。高さ72.6cmの檜造りの仏像である。また境内にある梵鐘は見事。 天明2年(1782)に鋳造されたものだ。 |
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| ■ 森林スポーツ公園 |
52haもの広大な森林の中に、ナイター完備の総合グランドをはじめ、キャンプ場、フィールドアスレチィク、遊歩道などが整備されている。管理棟はログハウス風のシャレた建物。
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| ■ その他 |
| 満寺寺境内の宝塔、久昌寺宝物の十一面観音菩薩坐像といった文化財があり、ブラリ歴史散歩もおすすめです。 |
尚、いいでそばの里センター(0241−38−3000)では、そば打ちの体験ができます。
生そばに関する資料館もありますので、「生そば」について知りたい方は ぜひ訪問して下さい。 |
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| → 飯豊登山の詳しい情報は、山小屋の情報を含めて 旧山都町のホームページに ありますので 御利用下さい |
| 飯豊山は、一流の田舎!を目指して、会津西北部の商工会青年部・商工会議所青年部の有志で活動した「飯豊連峰合衆国運動」の象徴です。 そして、そのマスコットが
飯豊山に生息する「おこじょ」でした。 私は、その運動のなかで いろんな人たちと出会い 今も良き友人として おつきあいが続いています。 |

マスコットの「おこじょ」 |
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| 飯豊山は、すごく雄大な山です。 会津、越後、出羽の三カ国にまたがり、2000m級の山が六座 連なる山容は、古くから地元の人の信仰を集め、1600m級の前衛の山々に周囲を取り囲ま
れた懐の深さは、山男から「遠い朝日(連峰)、深い飯豊」と称えられてきました。 |
| また、飯豊山は花の山です。 高山植物の種類の多さと群生の素晴らしさは、「お花畑」 と呼ばれ、古来この山に登る人の心を楽しませてきました。 人々の心に住む信仰の山として姿と、スポーツとして登山を楽しむ人に見せる山容と、
自然を愛する人を魅了する表情と、飯豊は四季折々の魅力に富んでいます。 |
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| ■ 山都一の木地区からの、登山道 |
| 山都町から 飯豊祠遥拝所のある一ノ木から、川入を過ぎ、登山口の御沢まで車で行けます。 御沢の手前には駐車場とキャンプ場もあるので便利です。 この登山道が、福島県からのメインのルートになります。
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| 登り始めてすぐ急坂の連続で、下十五里、中十五里、上十五里とブナ林の中を一気に登 っていきます。 これは長坂また木の根坂と呼ばれています。 古くからの信仰登山の道で それにちなんだ地名も多いです。 |
| 横峰へ出れば、地蔵山までは緩やかな登りで、そこで熱塩加納村からの登山道と 合流します。 地蔵山からの三国岳へ出る途中の 剣ヶ峰では切り立った岩稜を登るスリルが味わえます。 |
| 登山口から三国岳まで約5.5km、 約3時間のコース。 |
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| 山都 JR磐越西線は郡山と新潟を結ぶ述べ191kmの線路である。 緑の山間をぬい、数多くの トンネルを抜け、大小の鉄橋を渡って、76年の歴史を走ってきた。 |
| 私たちは、空気や水と同じように、この線路を別になんとも思わないで利用してきた。 しかし、ここに至るまでの先輩たちの血のにじむような苦難を思い起こすと、感謝せずにはいられないのである。 |
| 磐越西線の喜多方と山都の間に石造りの見事な鉄橋がある。 建設当時、東洋一といわれた山都鉄道、正式には一ノ戸川橋梁という橋である。 明治30年に岩越鉄道株式会社が設立され、現在の磐越西線建設工事に着手した。 |
| 明治32 年に山都・若松間、同37年に若松・喜多方間が開通したが、喜多方以西の工事は行きづまった。 しかし、明治39年に岩越鉄道が国有鉄道に編入され、翌年から工事がはじまった。 一ノ
戸川橋梁の工事もこの年に進められることになったのである。 |
| 工事は難渋をきわめた。 全長444m、高さは現在17mだが、当時は24mあった。 橋脚は、 花崗石を一つひとつ積み重ねていく工法だった。 花崗石の採石場所は、山都町の北に位置する宮古地区の沢や大平山一帯あったという。 |
| ここで採石した花崗岩が不足すると、高郷村の大谷という集落から、トロッコで原石のまま現地に運び込んだそうだ。 こうして積み上げて15本のピンを作り、何百何千という細木で足場を組み、橋げたを架
ける工事に入った。 苦心のすえ橋げたが架けられ、枕木が敷かれ、細いレールの上を工事列車がはじめて走 った。 その姿を見て、工事関係者はもちろん、地元の人たちも涙ぐみ、思わず「ばんざい!」
を叫んだという。 |
| かくして明治43年に一ノ戸川橋梁は風雪にさらされながらも昔の姿そのままに厳然と して偉容を誇っている。 一ノ戸川の河原に降り立ち、鉄橋の下流から北を望むと、橋脚と橋脚の間から、白い頂
きの飯豊連峰が見える。鉄橋を列車が渡ると、まるで飯豊の山々の上を列車が走っているように思える。 |
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