月見町の山車・太鼓のものがたり
平成12年の祭囃子の練習中、太鼓の皮が破れた。 ガムテープの応急処置でハラハラのお祭り参加となった。
祭礼終了後の反省会で、町内から寄付をつのって太鼓を新調することになった。
その時、問題になったのは 太鼓新調と同時に 古い太鼓の皮を張り替えるか どうかと言うことだった。
現在、祭りの当日は 大きな町内に負けないくらいの100人を越す人で 山車運行をしているが、
私を含めて、山車運行に苦労した時期を知っている人にとっては そこまでするべきか かなり悩んだ。
でも、太鼓新調後 大通り競演では 新旧の大太鼓2台で 親子・兄弟の競演もできるようになり 良かったと思う。
平成13年に新調した太鼓は、尺5寸 他の町内の太鼓に比べると かなり小さいが、
月見町の山車の歴史・成り立ちを考えると、この大きさが 山車につけられる最大の大きさなのである。
月見町の山車は、昭和5年 芸者衆が全盛の頃 芸者衆によって作られ お囃子も 芸者衆によって行われていた。
山車の大きさも、間口270cm 奥行300cm 高さ370cmと小ぶりなので 当然 太鼓も小さいのである。
これは、当時の女子の身長に合わせて作られた 喜多方唯一の「女山車」だからである。
戦後も、芸者衆によって山車の運行は続けられたが、いわゆる芸者衆の花代等の苦労も あったようである。
コースは、月見町独自のコースがあり、昭和電工経由で 街中をご祝儀をもらいながら練り歩いたようである。
私の、うる覚えの記憶でも 芸者衆が三味線を弾き かなり華やかに月見町を出ていく山車を見た覚えがある。
月見町の楽曲といわれる「ちゃちゃめんこ」は、本来 三味線がメインで演奏された楽曲であり、
時代の流れで 芸者衆が姿を消すと同時に 三味線の演奏がなくなり この楽曲本来の持つ味わいが消えてしまった。
長老などに聞くと、今流行の「練り込み」以上に 色気があって華やかな演奏が聴けたらしい。
芸者衆がいなくなり、料理屋が一軒一軒姿を消すにいたって 月見町の山車は冬の時代を迎えることになる。
まず、芸者衆が お囃子を演奏していたので 町内の男子は 演奏ができないのである。
それで、男子が今度 お囃子をすると 太鼓台を引く=動かす人が全然いなくなってしまうのである。
市内の他の町内とちがって、月見町は 花街だったので 元々住んでいる人が 少ない町内なのである。
郡部から、笛吹の人を雇ったりして山車運行を続けた時期もあったが、今度は お金が続かなくなってしまった。
そこで、山車の車輪が壊れたのを機会に 車輪をタイヤに変え 太鼓台を引くときは 録音したテープを
流すという最終兵器まで考え出して、山車(太鼓台)を維持してきたのである。
祭り当番の時などは、諏方神社に詰める人がいないので 歩けない人まで 神社に運んだ程であった。
祭礼奉祝会発足当時から、本当に 他の町内の奉祝会代表の人たちには 助けられた思い出が たくさんある。
幸町の広田君(5代目会長)との出会いも、祭礼奉祝会での出会いがあったればこそである。
合同で山車を運行するにあたっては、話せば何時間でも話せるほど たくさんの問題にぶつかった思い出もある。
でも、現在の山車運行の姿をみると その時の苦労があったればこそって感じがする。
20日からの合同練習・31日のバーベキュー・花火・そして祭礼当日と 3町内の子供だけでなく
祭りで育った子供達が大人になり 都会から祭りのために帰省してきて 違和感なく演奏している姿を見ると
諏方神社祭礼だけは、参加し続けなければならない 山車は、残さなければならないと 思うのである。
祭礼当日、大きな町内に負けない人数で 祭礼に参加しているので 当時の町内事情を知らない人にとっては
お盆の太鼓台競演になぜ参加しないのか 不思議に思うかも知れないが 
月見町の山車は、やはり諏方神社祭礼の3回の運行で 完全燃焼して 終わるべきだと 私個人は 思っている。
月見町の山車は 亡くなった人も含めて 祭りを維持してきた 町内の人々の努力で 受け継がれているのである。
最後に、修理に出した太鼓の胴には「明治28年6月吉日 会津若松祝町 御太鼓師 秋田屋喜三郎 行年65才」と
書かれているのを 発見した。  もちろん、この大太鼓のいわれを知る町内の人は 誰もいない。
現在の太鼓台は、昭和5年に作られたものであるから それより古い時代の太鼓ということになる。
月見町は、明治17年の町割により遊郭地(当時は「新築」と呼ばれていた)として誕生したと言われているから
この古い大太鼓が、唯一町内に残っていて 町内の人々の生活変遷を眺めながら 継承されてきたのである。
どんな人が、どんな思いで、太鼓を打ち続けてきたのかを考えると 継承することは すごい事だなと思う。 
また今年も 8月2日の夜、北宮諏方神社で ・・・・・ 元気にお会いできること楽しみにしています。
修理後の太鼓 修理前の太鼓 太鼓の内部
太鼓の内部の文字 太鼓の内部の文字 太鼓の内部
大関奉祝会7代目会長が、奉祝会20周年記念誌に寄稿した文章に すばらしいのがあるので 紹介します
(前文略) 祭礼奉祝会記念誌より
私は、奉祝会を通じて諏方神社祭礼に携わり数多くのことを感じ 数多くのことを勉強させていただきました。
その中で間違いなく言えることは、北宮諏方神社の祭礼は 過去も そして未来に至るまで
変えることなく行うということでではないでしょうか。
同じことを繰り返しているとマンネリ化する、それも事実です。
しかし、祭礼はそれを繰り返し行わなければ 祭礼ではないと思います。
8月2日、3日に全ての町内の山車が3回山車を運行して、全ての氏子の町内を回る。
そのことを これから先何十年と続けることができるように協力する事が奉祝会の目的の大きな柱だと思います。
(後文略)
もう一つの 大きな町内行事 月見町の歳の神  *幸町・御清水町内会でも、それぞれ歳の神が 行われます
喜多方地方は、1月13日〜15日にかけて各町内・各集落で歳の神が行われます。
月見町は、喜多方市の中心部にある戸数20数戸の小さな町内会ですが、
市内の中心部を流れる田付川の河川敷で、毎年 歳の神は行われ、
歳の神の後は、例年通り 一福さんで 鍋で新年会が行われます。
松飾り・お札・ダルマなどを焼いた火で、餅・するめなどを焼いて、
一年間の健康を祈願するんです。 人がいないんで 後片づけ・準備大変なんですよ。
特に火の始末は、燃えている時と違って すごく寒いです(本当に)。
他と違うのは、ラーメン屋さんののれんが巻かれているんです。
数年前から、まこと食堂さんのを 巻き始めたんですけど、喜多方らしいかな(笑い)。
冬の 喜多方の雪の感じも 何となくわかるかなあ〜。 
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