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芸者さんがたくさんいた頃の月見町の祭礼の写真と、芸者さんがいなくなった頃の写真です。 |
月見町の太鼓台は、喜多方市内で唯一 芸者さんたちが祭囃子をしていた山車で 他の町内とは違った運行をしていました。 |
置き屋さんから選抜された芸者さんたちが、昭和電工・商家(お得意様)などを廻って山車を運行していたそうです。 |
月見町の太鼓台は、芸者さんたちが太鼓をたたいたり 三味線をひいたりしていたので その身長にあわせて小さくできています。 |
私の家にもありましたが料理屋さんには、店の宴会場などには 大太鼓・小太鼓などがありました。 |
当時の宴会は、お客様ごとに火鉢があり、その火鉢でお酒の燗をしていました。 子供のころ、よく炭を火鉢にいれた記憶があります。 |
写真にあるように 小太鼓のばちも、現在のばちとは違っており 演奏の楽曲も芸者さんのひく三味線の音色が主旋律だったそうです。 |
今でも残る「ちゃちゃめんこ」の楽曲は、月見町の楽曲といわれており 三味線と笛・太鼓がきれいな旋律を奏でていたそうです。 |
現在でも、町内を出る時・帰る時は必ず「ちゃちゃめんこ」を演奏しますし、3日昼に町内を訪れてくれる山車も必ず演奏してくれます。 |
月見町の山車がタイヤになる前の写真も、すごく珍しいですよね。 今でも、その時の太鼓台の部品 金比羅神社の中に残っています。 |
私も小さかった頃、芸者さんに抱かれて祭礼に連れていってもらっていました。 写真の王将のゆかた、すごく懐かしいです。 |
あまり記憶になかったのですが、祭りのはっぴに 「新丁子屋&あらた」って名入りで 祭礼用の特製はっぴ作ってもらっていたんですね。 |
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