このHPは、新丁子屋・月見亭の店主 @喜多方が ふるさとの情報を手作りで発信しています
このホームページは 30年以上も前に制作した「喜多方の蔵とこて絵」を紹介した記事です
「一流の田舎」という言葉は、当時 活動していた「飯豊連峰合衆国」の「合言葉・目標」でした
記事の内容は、当時の記事を改定していませんので その点を了解の上で読んで下さい

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喜多方の蔵は、喜多方の観光の原点です ・・・ 喜多方の蔵の考察
新仲町の島新商店の蔵・お散歩マップにリンク
蔵と こて絵の 考察
三津谷のれんが蔵

なぜ、蔵の街として 喜多方が有名になったの?
観光地になるまでの喜多方は、古くから地場産業であった味噌・醤油などで使用されていた蔵が、時代の流れの中で地場産業と供にその役割を終え、市街地の中に取り残されました。 市街地では車社会の到来による商業圏の変化に対応を迫られていた商店街からの要望で 市街地にある蔵を取り壊しての駐車場・新しい商店街を形成しようとする商店街再開発計画の必要性が叫ばれていました。 一方農村部においても、農業基盤整備事業に伴う農作業の機械化・効率化の為や 住民の住宅の改築指向などにより、作業蔵・道具蔵の改造・取り壊しが 進められていました。 
そんな昭和40年代後半、どんどん取り壊されていく運命にあった「蔵」に一抹の寂しさを感じ、写真をとおして喜多方の文化遺産を後世に残そうと、蔵を撮り続けていた地元の写真家がいました。 新仲町で写真荘を経営していた金田実氏(故人)で、昭和47年11月に市内で写真展をしたのを皮切りに、昭和48年には会津若松市で、昭和49年には、東京の三菱オートガーデンと写真展を開催しました。 
金田氏の蔵の写真からは、喜多方という田舎町の市民の生活の中に深く息づいた蔵の姿が感じられ その事が見る人一人一人に大きな感動を与える事になりました。
更に、昭和50年7月には、NHK総合テレビ「新日本紀行」で、全国に喜多方の蔵が紹介されたことにより、変に観光地化されていない 素朴さの残る喜多方市にカンバスやカメラをさげた観光客の姿が見られるようになりました。 全国的に有名になった喜多方ラーメンも、蔵を見にきた観光客が、朝食や昼食・夕食に食べたラーメンが お店の人の素朴な人情・飯豊山の伏流水の「お水」と相まって 口コミで紹介されたのが始まりでした。
その後、喜多方が「ラーメンの街」としてマスコミに取り上げられることにより 一部の観光施設や ラーメン屋さんのみが 街の顔として注目されるようになりましたが ほんとうの蔵の街 喜多方の良さは、観光化された蔵の陰にある「住人の生活の場である蔵の姿」にあります。
 そんな気持ちで喜多方を観光すれば、観光化される前の 真の蔵の街 喜多方・喜多方の人情・喜多方の手作りの味に 出会えると思います。
喜多方の蔵には、どんなのがあるの 
喜多方市内には、2600棟(4世帯に1棟の割合)を越える蔵が点在しています。 
その種類も、粗壁・白亜・黒漆喰・レンガ造りの蔵など様々です。 また、用途も多岐にわたり、酒蔵・漆器蔵・味噌蔵・店蔵・座敷蔵などに使用されています。 変わった蔵としては、防火壁を兼ねた塀蔵・かわや蔵(トイレ)などがあり、寺町には、蔵造りのお寺「安勝寺」が あります。 郊外の農村蔵には、幻の職人 壁金が こてで描いた「こて絵」のある蔵も残っています。
喜多方プラザ近くの蔵の里には、移築された多くの蔵が ありますので見学に行かれると良いと思います。 喜多方の蔵は、観光客の見学用に使用している物以外は 住民の生活に使われているののがほとんどなので、住人の迷惑にならないように鑑賞してください。  見学の際は、家の人の了解をえるのがエチケットです。
なぜ、喜多方には蔵が多いの ?
昔から、喜多方には良質な地下水・米・麦・大豆の産出に恵まれ 酒・味噌・醤油・油などの醸造業が栄えその保存に蔵が必要でした。 また、漆器業や蚕を飼う製絹業など地場産業に利用されました。 加えて、喜多方の町では 明治13年、170戸 約300棟を焼失する大火のあり、その際 多くの土蔵が残り土蔵の耐久性が実証されました。
明治の中頃には、喜多方にレンガ工場ができた為 レンガ積みの技術導入に熱心な人たちが全国でも珍しい煉瓦蔵を作りました。 尚、レンガの歴史等に興味のある方は、寺町の田中レンガ記念館を 訪れると良いと思います。
また喜多方地方には、棟梁・建具・左官・塗工の分野に創意工夫に富んだ名工がおり、斬新卓越な職人がいました。 それに加え、大地震・大水・台風などの天災が比較的少なく、また戦争の災禍もまぬがれた為、市内や農村に今でも蔵がたくさん残っています。
この地では昔から「男40にして蔵の一つも建てられないようでは男でない」とも言われ、蔵を建てることが生涯の夢とされました。
そのような土壌があった処へ 明治時代初期、それまで藩の圧力によって押さえつけられていた商人・旦那衆の欲求が開放され、金に糸目をつけない豪華な蔵造りの建物を建てました。 その代表として、甲斐本家の蔵座敷・大善の蔵座敷・若喜商店の縞柿の蔵座敷などがあります。 そういう意味で、会津若松市は武士の創った街、喜多方市は町人の創った街と言えます。
尚、市内では 小田付地区の南町周辺・小荒井地区のふれあい通り周辺や 駅近くの菅原町(塚原地区)に多くの蔵が点在しています。 郊外では、農村蔵の杉山地区・れんが蔵の三津谷地区など多くの蔵があります。 緑町の あべ食堂では蔵の中でラーメンが食べられます。 私の住む月見町では、「おすわさまの おまつり」の3日朝には 町内の御旅所づくりの後で ラーメンを食べに行って かつ丼の上物でビールを飲むのが恒例の行事になっています。

こてで描かれた芸術品
蔵に描かれた こて絵
喜多方の蔵には、幻の職人「壁金」が こてで描いた「こて絵」のある蔵があります
この文章は、40年前に商工会議所青年部で 取材した情報をもとに 書いた記事です
このページですが、以前は できるだけこて絵のある蔵の場所も公開していました。
昨今の観光事情により 公開を望まない所持者が増えてきましたので 全て匿名とします。
喜多方には、現在2600棟以上の様々な用途の蔵があります。
蔵には、屋号や火事防止の願いの文字が書かれていることが多いのですが、絵が描かれている蔵は珍しく地元の人々にも あまり知られておりません。
この絵こそが、壁を塗るときに使う道具である”こて”で浮き彫りに描き出した為、こて絵と言われています。
黒や白、緑、青、赤などの原色で着色してあることが多く、絵柄では 花はボタン、樹木は松、動物は鶴や亀、龍や牛、馬、鷹などが多く見られます。 こて絵からは、よりよい生活を願う 当時の人々の生活感がうかがわれます。 尚、こて絵のある蔵は 明治27−34年頃に建てられたものが多いそうです。 作者は、幻の職人で「壁金」とか「金壁」の作品と言われています。
現在、残っている こて絵のある蔵も ほとんどが住居などに使われており観光客への開放を望んでおりません。 また、喜多方の農村部に点在しており それほど目立つ物ではありませんので、全部取材した時は1日以上かかりました。
そう言う意味でも 作者の存在と共に 幻の絵なのかも知れません。
 壁に描かれた こて絵
1.某氏宅(○○地区)
この地区は、北へ向かった山あいの小さな集落で、蔵が多く、その景観は落ちつぃたたたづまいをみせている。  ○○川の上流にあたり、何とも言えない静かな山村の景観の地区である。
 蔵の北側にボタン、南の蛇腹の中央には松、両側に4羽の鶴がある。  また、この蔵は横文字のレリーフがある蔵としても有名である。
2.某氏宅(○○地区)

曲り家風の蔵の東西南北四面全部にこて絵がある。
 東にはぼたん、西には鶴と亀、南には龍と鷹、そして北には欠落も脱色もない華麗な足に白を残した黒馬が躍っている。
3.某氏宅(○○地区)
目が鋭く、凄みと威圧感のある闘牛のような黒牛がある。  また、正面の壁には鶴と亀、上り龍の絵がある。
 (注) ○○さん宅の黒馬、○○さん宅の黒牛 対比すると非常におもしろかった。
   黒牛、黒馬は雨乞いを白い動物は晴天が続くようにという願いがこめられている。
4.某氏宅(○○地区)
ここのこて絵は蔵の壁でなく、室内の壁に描かれている為 非常に保存状態がよく 出会った瞬間 何とも言えない感動を覚えた。  鶴と上り龍が色あざやかに描かれていた
     窓に描かれた こて絵
1.某氏宅(○○地区)
鶴と松の他に、東側の窓に雌と雄のチャボが描かれている。
2.○○商店宅(○○地区
店舗わきの蔵の入口の上に、
松にとまる鷹の絵がある
3.某氏宅(○○地区)
東側の窓に
鶴と亀が描かれている。 亀は現在の亀でなく 江戸時代の本に描かれているような絵柄である。
こて絵は、日光や雨・風・雪などにより かなり痛んでいる物も 多くみられた。 現在どうなっているかはわかりません。 明治時代に こてで壁に絵を描いたというのは すごい事なんだと思ったことは覚えています。
私の住む喜多方市は、東西南北を高い山々に囲まれた会津盆地の西北部にあり、
喜多方大火の教訓から普及した「蔵」や「喜多方ラーメン」で、毎年百万人を超える観光客が訪れます

また、全国有数の観光地である「裏磐梯」「檜原湖」の玄関口としても有名です
会津喜多方米で有名な美味しい「お米」や、そば粉100%の「生そば」なども 注目を集めています
私の住む「月見町」地区は、田付川が流れる「旧花街」で 昔は百人を超える芸者さんもいました
また 月見町地区は 日中飯森山系の伏流水(地下水)が豊富な土地で 美味しい地下水が飲めます
私の店(新丁子屋)でも、創業以来 その地下水を利用しています  井戸も、6本あります
長い時を経てよみがえる伏流水(地下水)は、自然の名水ですから すごく恵まれた地域だといえます
月見町地区は、河川改修などで戸数15戸余りの小さな地区ですが 月1回の無尽(飲み会)もあるし
葬式なども町内全員で手伝うなどの、昭和の時代の良き伝統を残す地区になっています
昔花街だった広い道路には、8月3日の午後 小荒井地区の山車11台も集まります
月見町の山車は、市内唯一の「女山車」で おすわ様のお祭りのために 毎年 組み立てられています
北宮諏方神社祭礼は、小荒井地区の伝統の夏祭りです  8月2日−3日
祭礼写真紹介 町内8月3日 山車ものがたり 山車の組立 祭礼の見どころ 昭和30年頃
20年前の祭り 月見町で休憩 太鼓台の歴史 組立を紹介 祭礼日程 昔の月見町
喜多方の蔵の歴史などを、紹介しています。
 諏方神社祭礼 月見町の山車 2004年(平成16年)のホームページにリンクしています

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