このHPは、新丁子屋・月見亭の店主 @喜多方が ふるさとの情報を手作りで発信しています
このホームページは 30年以上も前に制作した「喜多方ラーメンの歴史」を紹介した記事です
「一流の田舎」という言葉は、当時 活動していた「飯豊連峰合衆国」の「合言葉・目標」でした
記事の内容は、当時の記事を改定していませんので その点を了解の上で読んで下さい
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喜多方ラーメンの考察

喜多方ラーメンはいつからあるの ?
現在、喜多方ラーメンは 札幌・博多ラーメンと並び 日本三大ラーメンの一つに数えられますが、その誕生の歴史を考えると 大正末期から昭和初期にさかのぼります。 当時の喜多方には、ラーメン屋と言う店は ありませんでしたが、中国から渡ってきた一青年がチャルメラを吹き 屋台をひいて支那そば(ラーメン)を売り歩いていました。 その手作りの支那そばが80有余年の歴史を持つ喜多方ラーメンの元祖と言われています。
その後、現在のラーメン店分布の原型を形成したのは、太平洋戦争が終わった昭和20年代前半のことで、戦前から営業していた人に加え 中国からの引揚者が大陸で学んだ知識と技をもとに営業を始めました。
現在では、
喜多方ラーメンは 麺の製造に研究を重ねてきた地元の製麺屋さんで製造する麺と 日中飯森山の伏流水で作られる自家製スープとの融合に最大の特徴があります。 今でも昔ながらの自家製麺でラーメンを作ってい店も あります。 昭和60年頃からの全国的なラーメンブームやテレビ・雑誌等のマスコミの宣伝により 全盛期には 市内には130軒あまりのラーメン屋さんを数えるようになりました。 
喜多方ラーメンは 何で有名になったの ?
喜多方ラーメンの原点は、地元の写真家 金田氏の紹介した 蔵の街喜多方にあります。  蔵の写真を撮るために訪れた観光客が、昼食や夕食に食べたラーメンが 口コミで宣伝されたのが始まりです。 当時 都会に比べて貧しかった田舎町の喜多方には、都会にあるレストランやファーストフードの店が無かった為、蔵を見に訪れた観光客が食事に訪れたのが大衆食堂であり その代表的メニューであったのが喜多方ラーメンでした。
その頃 訪れた観光客は、田舎のラーメンの味の新鮮さ・日中飯森山の伏流水である地下水のおいしさと供に 喜多方市民の観光客慣れしていない人情にふれ、それが喜多方ラーメンの最大の魅力になったと考えられています。 
そんな時、観光客による街おこしを考えていた喜多方市も 蔵を見に来る観光客に注目していました。 それを、何とかマスコミにのせて宣伝しようと努力したのが、富山氏を中心とする商工観光課の職員たちでした。 旅行雑誌 るるぶ のページ買い取り・都会でのビラ配り 現在では珍しくありませんが、当時は市の職員が率先して街おこしの宣伝をする事が珍しい時代でした。
そして喜多方ラーメンを有名にしたのが、昭和60年のNHKテレビの「おはようジャーナル ラーメンの香りただよう蔵の街」の全国放送や その後のラーメンブームに乗ったテレビ・雑誌の喜多方ラーメンの特集です。 それに加えて、全国でも珍しいラーメン屋の組織 喜多方老麺会の結成・老麺マップの作成や、PRの為に坂内食堂や まるや などの全国旨い物祭りなど催事への参加などの 地元のラーメン屋の積極的PRが ありました。 現在、喜多方市には100万人を越える観光客がガイドブックを片手にラーメンを食べに訪れています。 喜多方ラーメンは、ラーメンと日中飯森山の伏流水と店のおじちゃん・おばちゃんとの人情が合わさって 美味しい味になります。 
よく聞かれるのですが 喜多方のラーメン屋さん、どの店も それぞれの味で美味しいですから 行列のできる有名店以外の店も訪ねて味わってみて下さい。 最後に皆さんが気になるどの店が喜多方で一番おいしいのかという質問ですが 人それぞれ感じかたは違うと思います。 只、一つ言えるのは ガイドブックやガイドさんのアドバイスより 地元住民・学生に聞くのが一番だと言うことです。 そして、実際に食べた皆さんがインターネットなどの情報手段で、教えてやってください。 最近のインターネットの喜多方ラーメンの情報は 専門のHP業者と組んでの偽りの情報も数多く見られますから ご注意ください。  何で、この店が・・・と言うのも最近増えて来ました。
 実際に、本当の味を追求したいと 喜多方老麺会を脱会した店もありますし 老麺マップに載っていない美味しい店も数多くありますので、ガイドさんやお土産屋の店員さんに聞くのでなく 恥ずかしがらずに 地元の学生や地元住民に聞いて下さい。 行列の好きなミーハーな人はともかく、普通は行列してまで食べる必要はないと思います。 都会の繁盛店の行列と違って地元の人は ほとんど行列していませんし、並んでいる人の半分以上は、初めて喜多方を訪れた ガイドブックや 老麺マップだよりの人だと思います。 ともかく喜多方のラーメン屋、80%の店は それぞれの味で美味しいです。
最近話題のインターネットでの、業者と組んでの 飲食ランキング調査は やらせが けっこう多いので注意して下さい。 ネットによる いやがらせの投稿で困っている店も、たくさん あります。 一度、ネットに 間違った情報があがってしまうと それを訂正する方法が ありません。 はっきり言って、ネットの飲食サイトに載っているランキング、テレビでのランキング調査 地元に住んでいると 「なんで、あの店が?」ていうのが 多々あります。 個人的な感想ですが・・・!
喜多方ラーメンは なぜ美味しいの ?
喜多方ラーメンは、基本的には醤油味がベースになっていますが、現在では地場産品の味噌や 酒粕を使ったラーメンなどその店によって色合いや風味は千差万別です。 なかには、大量にスープを作る際に、化学調味料に頼ったスープも見られますので アレルギーの方は気をつけてください。 化学調味料の多く入ったラーメンを食べた後は、水がおいしいと言うのも事実ですが・・・・
喜多方ラーメンの麺は 平うち熟成多加水麺と呼ばれる幅約3ミリの太麺で、水分を多く含ませじっくりねかせて作るのが特徴で、こしと独特の縮れがあります。 地元の店で使われている多くの麺は、地元の製麺所で製造されるため、喜多方のどの店でも同じような 美味しいラーメンが食べられます。 これが、喜多方のラーメンの特徴で いろんな人たちの努力=協力によって おいしいラーメンができるという事なんですよね。 喜多方ラーメンの最大の おいしい秘密は 日中飯森山の伏流水などの良質の地下水にあります。 私の住む月見町・御清水地区は、地下水が美味しいと評判の地区なんですが 実際 「まこと食堂」「ばんない食堂」などの 古くから 喜多方市民に愛されてきた有名ラーメン屋さんがあります。 喜多方の市民の10人に3人は、ラーメン屋さんより 自宅でつくるラーメンのほうが旨いよと答えるほど 喜多方の地下水で作るラーメンはおいしいのです。 同様に、地下水でしめた「そば粉100%の日本そば」も 隠れた 喜多方の名品です。
 喜多方は、自称「そば打ち名人」も 各集落や市内に たくさんいる街でもあります。
最後に、喜多方の住民は、観光客によって食べさせてもらっているわけでもないのですから 正直、「他人の家の前に、堂々と駐車する」「ゴミを平気で捨てる」といったようなマナーに欠ける観光客は 喜多方に来て欲しくないと 考えています。 
れからの喜多方の観光は、「人数が、百万人きたから良かった。 お金をたくさん使ってくれたから良かった。」といったような目先の利益を考えるのではなく 「ありのままの喜多方を愛してくれる喜多方のファン」を どれだけ集められるかだと思っています。 
喜多方で良い出会いがありますこと祈ってます。
私の住む喜多方市は、東西南北を高い山々に囲まれた会津盆地の西北部にあり、
喜多方大火の教訓から普及した「蔵」や「喜多方ラーメン」で、毎年百万人を超える観光客が訪れます

また、全国有数の観光地である「裏磐梯」「檜原湖」の玄関口としても有名です
会津喜多方米で有名な美味しい「お米」や、そば粉100%の「生そば」なども 注目を集めています
私の住む「月見町」地区は、田付川が流れる「旧花街」で 昔は百人を超える芸者さんもいました
また 月見町地区は 日中飯森山系の伏流水(地下水)が豊富な土地で 美味しい地下水が飲めます
私の店(新丁子屋)でも、創業以来 その地下水を利用しています  井戸も、6本あります
長い時を経てよみがえる伏流水(地下水)は、自然の名水ですから すごく恵まれた地域だといえます
月見町地区は、河川改修などで戸数15戸余りの小さな地区ですが 月1回の無尽(飲み会)もあるし
葬式なども町内全員で手伝うなどの、昭和の時代の良き伝統を残す地区になっています
昔花街だった広い道路には、8月3日の午後 小荒井地区の山車11台も集まります
月見町の山車は、市内唯一の「女山車」で おすわ様のお祭りのために 毎年 組み立てられています
北宮諏方神社祭礼は、小荒井地区の伝統の夏祭りです  8月2日−3日
祭礼写真紹介 町内8月3日 山車ものがたり 山車の組立 祭礼の見どころ 昭和30年頃
20年前の祭り 月見町で休憩 太鼓台の歴史 組立を紹介 祭礼日程 昔の月見町
喜多方の蔵の歴史などを、紹介しています。
 諏方神社祭礼 月見町の山車 2004年(平成16年)のホームページにリンクしています

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